ところで一度会つたことのある人で、信頼できる支那学者であることをきいてをり、亜細亜研究所にこの詩人がつとめてゐるときいたので、訪ねて行つて教へを乞うた。支那学者が他に数人ゐて、あいにく黄河に就て特に調べてゐるといふ専門家はゐなかつたが、ともかくこゝで懇切な手引を受けて、それから教はつてきた本を内山に山本といふこれも教はつた二軒の支那専門の本屋で買つて読みだしたのである。
又、会津八一先生が、たぶん創元杜の伊沢君からきいてのことゝ思ふが、私が黄河を調べてゐることをきいて、私を早稲田の甘泉園といふところへ招いて、こゝには先生の支那古美術の蒐集があるのだが、黄河に関する支那の文献に就て教へていたゞいた。尤もこの方は支那の本だから、私には読む学力もないので、本の名を承つたといふだけで敬遠せざるを得なかつた。
実現の見込みのない仕事、つまり全然無意味なことをやれと云つても無理である。私はつくづく思ひ知つた。これが小説なら敗戦後も十年二十年たつたあとでは出版の見込もあるかも知れず、死んだあとでもといふ考へも有りうるけれども、支那の映画などゝは全然無意味で、敗戦と共に永遠に流れて消える水の泡にす
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