てをり支那の黄河のあたりをカメラをぶらさげて悠長に歩くことなど出来なくなるのは分りきつてゐるのに、脚本を書けと言ふ。思ふに専務は私の立場を気の毒がつたのだらうと思ふ。何もせず、会社へも出ず、月給を貰ふのはつらい思ひであらうと察して、こゝに大脚本をたのんだ次第に相違なく、小脚本ではすぐ出来上つて一々面倒だからといふ思ひやりであつたに相違ない。専務と私には多少私事の関係があるのだが、それは省くことにしよう。
 黄河ををさめる者は支那ををさめると称されて黄河治水といふことは支那数千年の今に至るも解決しない大問題だ。支那事変の初頭に作戦的に決潰《けっかい》して黄海にそゝいでゐた河口が揚子江へそゝいでゐる。これを日本軍が大工事を起してゐるのだが、これが映画の主題で、この方は私に関係はない。私のやるのはその前編で、黄河とは如何なる怪物的な性格をもつた独特な大河であるかといふ、歴史的地理的な文化映画の脚本なのである。
 おかげで私は黄河に就ては相当の勉強をした。本はたいがい読んだ。立教大学の構内に亜細亜《アジア》研究所とかいふものがあり、こゝに詩人で支那学者の、これが又、名前を忘れた、私は三好達治の
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