説家といふものは朝寝で夜ふかしで怠け者で規則に服し得ない無頼漢だと定評があるから、恐れをなしたのだらうと思ふ。私は天命次第どの工場へも行くけれども、仰有る通り働くかどうかは分らないと考へてゐた。私が天命主義でちつともヂタバタした様子がないので薄気味悪く思つたらしいところがあつた。
 さういふわけであるから、日本中の人達が忙しく働いてゐた最中に私ばかりは全く何もしてゐなかつたので、その代り、三分の一ぐらゐ死ぬ覚悟だけはきめてゐた。
 尤も私は日本映画社といふところのショクタクで、目下ショクタクといふ漢字を忘れて思ひだせないショクタクだから、お分りであらう。一週間に一度顔をだしてその週のニュース映画とほかに面白さうなのを見せてもらつて、それから専務と会つて話を十五分ぐらゐしてくればよいので、そのうちに専務もうるさがつて会はなくともいゝやうな素振りだから、こつちもそれを幸に、一ヶ月に一度、月給だけを貰ひに行くだけになつてしまつた。尤も、脚本を三ツ書いた。一つも映画にはならなかつた。三ツ目の「黄河」といふのは無茶なので、この脚本をたのまれたのは昭和十九年の暮で、もう日本が負けることはハッキリし
前へ 次へ
全24ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング