いても」生きられる性質のものであつたかどうか疑問だと思つてゐる。そして現実をむしろ夢想をもつて眺めて、どんな卑劣なことをしても生きぬいてみせると悪魔の如く吠えることを好んだ荒君は、私にはハリアヒのない女の笑ひ顔よりも却つて現実の凄味や厳しさが感じられなかつた。女のハリアヒのない笑顔の中には、悪魔の楽天性と退屈とがひそんでゐたやうに思ふ。
 私は六月の中頃だらうか、もう東京が焦土になつてのち、勇気をふるつて「黄河」の脚本を書いた。脚本などとは名ばかりの荒筋のやうなもので、半年以上数十冊の読書の果にたつた二十枚の走り書であつた。もちろん一夜づけであつた。たゞ厄をのがれるといふだけの、然し、この厄をのがれるためにその半年如何に重苦しく過したか、私は新聞で日映の広告のマークを見ただけでゾッとした。
 人間は目的のない仕事、陽の目を仰ぐ筈がないと分りきつた仕事をすることが如何に不可能なものであるか、厭といふほど思ひ知つた。
 まつたく不可能なのである。私は遂に脚本を書いたが、これは正当な仕事ではないので、たゞ重苦しさの厄をのがれるためといふだけの全然良心のこもらぬ仕事であつた。だいたい、あの戦争
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