かじ》りついても」といふまるで歯ぎしりするやうな口に泡をためた表現と、二十円の箪笥のいくつかを今にも蒲田へ駈けだして買ひたさうな精力的な様子とで、荒君はほんとにさういふものが後日役に立つ生活を自信をもつて信じてゐる。この女のハリアヒのない微笑とは全く逆で、それは全く、私にとつては思ひがけない世界であつた。
 私はかう思つた。荒君、平野君らはどうも小説の中の人物に良く似てゐる。だいたい、小説を読みすぎる連中である。あゝいふ考へ方や言ひ方は、現実的であるよりも、小説的で、彼等の足は土をふんでゐるのでなしに、トルストイとかドストエフスキーとかを踏んでゐるのではないのか。彼等はいつたい女房とどんな話をし、私には彼等が女房に言ふ言葉は分るけれども、女房の方の返事はどうだらう?
 尤も、荒君、平野君ばかりではない。小説家、批評家、インテリの多くは地方へ疎開して、日本の最後の運命を待ち、自分の生命を信じてゐる。
 けれども狭い日本のことで、どこへ逃げてみても、第一どこから敵が上つてくるのだか、それすらもしかとは分らない。私には、どうも荒君の確信が不思議でならなかつた。あんなに口に泡をため歯ぎしりのや
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