人の泥棒もオイハギも人殺しもなかつたのである。それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。
完全な秩序、犯罪に関する限りほゞ完全な秩序が保れてゐた。愛国の情熱がたかまり、わいてゐるやうだつた。なんといふ虚しい美であらうか。自分の家が焼けた。何万何十万の家が焼け、さして悲しみもせず、焼跡をほじくつてゐる。横に人間が死んでゐる、もう、振りむきもしない。鼠の屍体に対すると同様の心しか有り得なくなつてゐた。かやうに心が痲痺して悪魔の親類のやうに落ぶれた時がきてゐても、食ふことができて、そしてとりわけ欲しい物もないときには、人は泥棒もオイハギもしないのだ。欲しいものはせい/″\シャツか浴衣ぐらゐで、まるで自分の物と同じ気持でちよつと風呂屋で着かへて出てくるくらゐのことはするが、本心は犯罪に麻痺し落ちぶれきつてゐながら、泥棒もオイハギもやらない。単なる秩序道徳の平静のみすぼらしさ、虚しさ、つまらなさ。人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。
もとより私自身が完全にその阿呆の一人であつた。最も虚し
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