ち切られて応仁の乱の焦土とさして変らぬ様相になつてゐる。供出といふ方法も昔の荘園に似てきたが、やつぱり百姓は当時から米を隠したに相違ない。原形に綺麗なものは何もない。我利々々の私慾ばかりで、それを組合とか団体の力で自然にまもらうとするやうになる。
歴史の流れの時間は長いが、しかしその距離はひどく短いのだといふことを痛感したのである。行列だの供出の人の心の様相はすでに千年前の日本であつた。今に至る千年間の文化の最も素朴な原形へたつた数年で戻つたのである。然し、又、あべこべに、と私は考へた。組み立てるのも早いのだ。千年の昔の時間をまともに考へる必要はない。十年か二十年でたくさんなのだ、と。だから私は敗戦後の日本がむしろ混乱しうる最大の混乱に落ちて、精神の最大のデカダンスが来た方がいゝと思つた。中途半端な混乱は中途半端なモラルしか生みだせない。大混乱は大秩序に近づく道で、そして私は最大の混乱から建設までに決して過去の歴史の無意志の流れのやうな空虚な長い時間は必要でない、と信じることができたからであつた。
それにしても、これほど万事につけて我利々々の私慾、自分の都合ばかり考へるやうになりな
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