分を愛してゐることを私に信じさせ、説服しやうとするのであつた。檻の中の辰夫の望みが如何に謙虚なものであつたか、今私は胆に銘じて記憶してゐる。それにも拘らず、その頃私は愚かであつた。(今も――)
 扨《さ》て辰夫は次第に苛々して、遂には私が如何にも辰夫の母親を誤解し、母親は辰夫を愛してゐるにも拘らず私は愚鈍で其れを見破るよすがもない、といふ意味を仄めかさうとするのであつた。莫迦な私は逆上して、
「君は実に物の分らない妄想溺惑家だ。今は白状するが、僕は毎日君のお母さんに会つてゐる。併し君の母なる人は凡そ頑迷で、冷淡で、又甚だヒステリイで……」
 斯んな風に激しく私は興奮して、もはや我無者羅に喚くやうになるのであつた。すると辰夫は粛然と襟を正して深く項垂れ、歴々と羞ぢらう色を見せて悲しげに目を伏せてしまふのだ。私は自分の愚かさに胸を突かれる思ひをして、又もや夢中になつてしまひ、
「併し併し親の心は神秘だから、他人の僕に通じないものが必ずあるに極つてゐる。僕は浅薄で深さの分らない人間だから、君の母を誤解してゐるに違ひない……」
 斯うして益々混乱する私は自卑に堪まりかねて、次のやうに途方もない
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