、我々の血潮の中にも習慣の中にも決して見当らぬものである。
けれども、冷静なる居士はバスに乗る。さうして、四ツ目か五ツ目あたりの停留場で静かに降りる。もとより火の手が見えたわけではないのである。多分彼はやうやく諦めたのであらう。でなければ、四ツ目か五ツ目あたりの停留場が彼の夢と青春の極限に当るのかも知れない。
バスを降りて、冷静なる居士はあたりを見廻す。それは火の手を探す為ではないらしい。多分見知らぬ街の様子と自分の立場を結び合せる何かの手がゝりを探してゐるのだ。さうして彼が降りた街には常に平和な人々と平和な営みがひろげられてゐた。子供達は店先の鋪道の上で遊び、オカミサンも亦店先の鋪道の上で喋つてゐる。このとき彼は、はじめて煙草を買ふ。さもなければ、リンゴを買ふ。五ツほどリンゴを入れた袋を抱へて、さうして彼は再びバスに乗るのである。便所から出てきたやうに、研究室の扉をあけて、七年間の自分の椅子に坐るために戻るのだ。
かういふ彼の行動から判断しても、彼は案外アッサリした性質だといふことが判るのである。オデンヤで寂念モーローの先生の相手をつとめて唯|徒《いたずら》に徳利を林立させてゐ
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