前に学校の門前を右へ走つた自動車ポンプのサイレンがきこえたことを結び合せて、案外これは火事見物におでかけのところだな、といふ思ひがけない一事に気付くのであつた。然しながら我々はこれを彼の歩きぶりから看抜《みぬ》いたのでなく、ほかの如何なる目的も想像しがたい理由によつて、かう考へてみるのであつた。
 然し、この想像は正しかつた。否、多分、正しいのだらうと私は思ふ。
 我々は日頃巷に自動車ポンプのサイレンを聞きなれてゐるが、その走り去つた方向に火の手を見たといふことがない。もし見たといふ人があれば、彼はまさしく神の特殊な恩寵を受け、奇蹟を行ふ人である。それ故普通我々はたとへ火の手が見えなくとも自動車ポンプの走り去つた方角に向つて二足三足走りかけてみることがないでもない。火の手に向つて走ることは今日も尚我々の宿命なのである。
 けれども、火の手に向つて丁度手洗ひに赴くやうに静かに歩くといふことは、我々の習慣ではない。且又、見えない火の手に向つて黙々と歩くことも我々の習慣ではないし、たとへ自動車ポンプの走り去つた方角へ走るバスであるとはいへ、どことも見えぬ火元を指して静かにバスに乗りこむことは
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