えゝ」
 楠本は、きまつて、波子の衣裳、着つけ、化粧などをひとわたり讃めて、時々、着物にさはつてみたり、手を握つてみたりする。はじめ、波子は、なんの気もなかつたが、次第に触り方が多くなつたり、手を握る時間が長くなつたりするので、忽ち、いやになつた。さう気がつくと、楠本の眼つきが助平たらしくて、やりきれなかつた。それ以来、さういふことが始りさうな気配をみると、さつさと部屋をとびだすことにした。然し、楠本は平然として、赧《あから》みながら逃げ失せにけり/\などと言つてゐる。波子は立腹し、扉に鍵をかけて、散歩にでかけてしまつたことがあつた。一時間ぐらゐして帰つてきたら、楠本はまだ悠々と部屋にゐて、鍵をかけられたのを幸に、机の上のノートブックだの手紙だのを見てゐた。机の中も、ひそかに掻きまはしたのである。写真が一枚なくなつたのに気付いたのは、後の話であつた。
 この男は、又、波子の部屋へくるたびに、必ず、お聟さん、どうどす、四五人、心当りがおまんのやが、と言ひだすのである。
 波子に言ふばかりではなかつた。父にも、母にも、言つた。年頃の娘のゐる家庭で、かういふ話は、時候見舞の挨拶のやうなもので
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