。血をくゞつて伝承した切支丹《キリシタン》の子孫が、今もこの島に住み、漁《すなど》り、さゝやかな山峡の畑を耕してゐる。三百年前の十字架が、サンタマリヤが、教会の壇に飾られてゐた。
このあたりの村々では、往昔、無数の切支丹が、その鮮血を主に捧げたといふ。今は、山も、杜も、海も、たゞ青々と変哲もなかつたが、波子は、なにか、なつかしかつた。
島の旅館は、普通の民家のやうに、小さく、二人の気まぐれな旅行者以外に、一人の宿泊人もなかつた。あいにく、風呂のわかない日で、と、宿屋の娘がことはりにくる。伝蔵は、その風呂をわかさせるために宿屋の主人を拝み倒さねばならなかつた。
その夜、波子は、父に話しかけた。
「ねえ、パパ」
切支丹の島で、最後の返事をきめてもらはう、と波子は思つた。
「ねえ、パパ。私ね。結婚しなくとも、いゝでせう。遠山さんと」
伝蔵は、本能的な、むつかしい顔をした。
「その代り、ほかの人なら、パパのすゝめる人と、大概、結婚するつもりよ」
伝蔵は答へなかつた。とりあげた本の頁を、たゞ、めくつてゐた。
「パパ。私の身になつて、考へてちやうだい。あんなキンゲンな人と結婚するのは、
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