。あなたの好きな人は!」
「ハヽヽヽヽ」
波子は笑ひだした。ほてつた頬に手をあてゝ、立上つた。
母も、立上る。顔色が、一時に、ひいた。
「おまへは。――まさか……」
母は狂暴な野獣に変り、とびかゝる身構へになる。立ちすくんで、娘をみつめた。絶望の混乱が、眼を走つた。
「アハヽヽヽヽヽヽ」
波子は、けたゝましく、笑ひしれる。波子は、歩きだした。手を洗ひ、ぬれたタオルで顔をふく。タオルを投げだして、寝台に、からだを投げた。
「もう、行つて。私は、ねむい」
さうして、がつくり、うつぶした。
八
伝蔵は、娘の拒否が激しすぎるのに、やうやく、気付いた。気まぐれや、流行思想でもなさゝうだ、と気付いたのだ。けれども、それが、気まぐれではなく、思ひつめたあげくではあつても、二十一の娘に、何事が分つてゐると言へようか。男の心も、知らない。結婚とは。家庭とは。幸福とは。それが、どのやうに味気ないものであるか、それも知らない。二十一の娘には、二十二の人生すら、分らないのだ。まして、三十の人生も、五十の人生も、知る筈がない。知つてゐるのは、夢ばかりである。
平凡。伝蔵は、それに
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