万葉集だの、徒然草だの、芭蕉だのといふものを耽読して、俄か隠居の生活をやりはじめ、紅葉狩だの寺詣だの名所遊歴といふやうなことに凝りはじめ、波子も、稀には、お供をした。女房子供をひきつれて、諸国の料理を食べ歩いてきたことなどもあつた。金のかゝることゝ言へば、書画骨董の類くらゐで、結婚して二十五年、はじめて安心したなどと、母の言ふのを、波子はきいた。
「山にみまかりし我子にさゝぐ」といふ歌があつて、開巻一番、
さんま食ひてなれ思ふ秋もふけにけりわが泣く声に山もうごかん
などゝ詠んでゐる。
山はさけ海はあせなん、といふ名高い歌は、波子もかねて知つてゐたが、さんまを食つて泣き山をゆりうごかしてやらうといふ、実にどうも横着で、山の枯葉一枝ゆりうごかす実感も、なさゝうである。親父のやることは、風流まで、芝居もどきだ、と、波子は、これも、ばからしかつた。
二
死花を咲かせるなどと言ひだすやうになつてから、一時遠のいてゐた連中が、繁々と遊びにくるやうになつた。伝蔵も亦、頻りに外へでて、呑んでくる。
昔の友達といへば、大概、郷里の陣笠だの、先祖代々の財産をどうやら土俵際で持ち
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