伝蔵は、又、首をひねつた。
 彼は今、休んで行かしやんせ、に応じる名句を思ひださうとしてゐるのである。茶店へズイとはいりながら、その名句と共に乗込んで、妻子や茶店を賑はしてやらうといふ肚なのだ。あひにく、うまく、浮かばない。雪の降りしきる山中で、さう/\首をひねつてゐるわけにもいかない。あきらめて、
「ちよつと、休んで、行きヤンしよう」
 と、はいつて行つた。
 何事に首をひねつてゐるのかと思つてゐた二人は、行きヤンしよう、に噴きだしたが、鶯のあの一声に比べて、人の言葉のあまりにも甚しい貧しさに、波子は胸をつかれた。
「パパが下手くそな洒落を言ふから、もう、鶯も、啼いてくれない」
「アッハッハ。鶯も、啼かしやんせぬかい」
 雪が、急に、ひどくなつた。もう、歩けない。茶店で、バスを待ち、伝蔵は、山をつゝむ垂れこめた雲を見上げ、やがて、口をあけて、うと/\してゐる。葉子は、シバ漬といふ名物を買ひ、風呂敷に包み、やがて、その漬物を好みさうな知人の名を思ひだして、奥に向つて、改めて追加の註文をする。それを風呂敷に包み直して、又、知人の名をさがしてゐる。
「志田さんの御家族は、いくたりかしら。
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