於てそのミヤコをつくったのはヒダのタクミであったのは当然ですし、また、彼らが大和飛鳥へ進出以前の首府としていたヒダの古京にもヒダのタクミの手になる宮殿も仏寺も(すでに仏寺もあった筈です)したがって日本最古の仏像もあったに相違ないのです。
ヒダの王様が大和へ進出する前に大和飛鳥に居た王様は物部《もののべ》氏でしたろう。これは四国の方から進出してきたもので、追われて後は、また四国の方と、伊豆や東国へと逃げた。そして彼らを追っ払ったヒダ朝廷の庶流が嫡流をヒダまで追い落して亡すと、物部一族をなだめすかして味方につけ同族の一派、功臣というような国史上の形をつくってやった。結局、ヒダだけがその後のかなりの期間大和朝廷に敵意を示し、朝廷を手こずらせもし、その憎悪もかりたてたようです。その秘密は記紀の記述からタンテイ作業によって見破ることができます。以上は文春本誌九月号の新日本地図にやや具体的にタンテイの結果を書いておきましたが、いずれ本格的なタンテイ録、物的証拠のヌキサシならぬ数々をハッキリと取りそろえて、偽装のカラクリの下に隠れている真相を論証して、お目にかけるつもりです。しかし、それまでには相
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