況証拠でなくてハッキリと物的証拠をだしてやってゆかねばならぬ。過去の史家はこの分りきった偽装の方をうのみにして、これを真実の物としていました。そして、それに反する史料が現れると理窟ぬきでそれは国史に反するもの、マチガイを書いた偽書偽作ときめつけていたものです。
 たとえば万葉の歌に、ミヤコから美濃と尾張の境にちかいククリの宮の恋人のところへ通うのに木曾の山を越え美濃の山を越えて、とよまれています。そんなバカな道順があるものか。大和飛鳥の都からククリの宮へ行くには奈良や京都や伊賀や近江を越えるかも知れんが、美濃の山や木曾の山はその向う側じゃないか。てんで話にならぬバカ歌だ。地理を心得ぬこと甚しい。こう云って一笑両断、バカ歌のキメツケを与えて一蹴してしまう。それが過去の歴史の在り方です。しかし天智天皇よりもちょッと前まで都はヒダや信濃にも在ったにきまっているのです。それはこういうアベコベの地理やマチガイ年号を書いているバカ歌やバカ本や金石文等の数々を見ればすぐ分るのです。
 そういうわけで、ヒダの王様が大和飛鳥へ進出して中原を平定したのだから、奈良朝以前の、つまり現存の国史の書かれた以前に
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