当の時間がかかると思います。
 天武天皇も持統天皇もヒダ王朝出身の皇統に相違ないのですが、嫡流を亡して、故郷のヒダを敵にしたから、しばらくの期間はヒダのタクミたちを召しだしてミヤコづくりの手伝いをやらせるのに差支えがあったように思われます。いろいろと手をつくしてヒダの土民のゴキゲンをとりむすんで、奈良京の終りごろにはどうやらヒダにも国司を置いて税をとることもできるようになった。
 平安京をつくる時にはヒダからとる税はヒダのタクミだけです。山国のヒダに物資が少いせいもあったかも知れませんが、ヒダのタクミの必要は甚大で、毎年百人ずつのタクミをヒダから徴用し、他にはタクミの食う分の米だけ取りたてているにすぎない。
 この徴用タクミはよく逃げた。それは必ずしも過去の感情の行きがかりのせいばかりでなくて、他の国から召しだされた税代りの奴隷や使丁もよく逃げたし、土地に定着している農民まで税が重いので公領から逃亡して、私領へ隠れたものです。タクミもミヤコ作りの仕事場からさかんに逃げたが、故郷へ帰ると捕われるから、私領へ逃げる。諸国の豪族や社寺はタクミの手が欲しいからこれをかくまって厚遇して仕事をして
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