いのではなく、つまり土地の人々は歴史的にヒダのタクミの作品に無関心なのである。彼らはむしろ円空という他国からきた坊主の彫りの腕をほめるのである。徳川時代の坊主で、生国はハッキリしないが、ヒダの人間でないことだけはたしかである。彼は千光寺に住んで、放浪の足を洗い、やたらにナタ一丁で彫りまくった。それがヒダの諸方の寺にある。これをタクミ以上の名作だと云うのである。
 彼らが伝統的の気風として土地のタクミについて無関心であるのは結構であるが、円空の作をほめるのは甚しい心得ちがいである。
 私はヒダのタクミの名作は、時間の都合があって、いくつも見ることができなかった。ヒダのあの町にこの村に、まだまだ多くの名作が人に知られずに在る筈なのだ。そして、知られざる秘仏の中には、大和の飛鳥朝以前の名作があるかも知れない可能性がある。私はそれを探してみたかったが、何がさて他に目的のある旅であるし、時日も甚だ限られていて、たまたま他の目的で出向いた先で仏像を見せてもらう程度であったが、そこは概ね兵火で焼かれたところであり、もしくは開帳の当日以外は見せられない秘仏であるために、収穫がなかったのである。
 私の
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