見たものでは国分寺の本尊、伝行基作という薬師座像と観音立像がすばらしかった。伝行基という手前のせいか、これだけは国宝であったが、諸国でザラに見かける伝行基という非美術品とは違って、これこそはヒダのタクミの名作の一ツであろう。
 ヒダの国分寺は創建もまもないうちに焼けた。そこにあった行基作の仏像は共に焼けたに相違ない。今の小さな国分寺ができたのち、高山市の他の寺から、この二ツの仏像をゆずりうけて本尊としたものの由である。
 これこそはヒダのタクミという以外に作者の個有の名を失った伝統があって、はじめて生れてくるような名作である。
「美しいなア」
 私は思わず叫び声をあげて見とれた。まったく、叫んで、見とれるだけの仏像である。ほかに何もない。この仏像は何も語らないし、一言も作品以外の言葉で補足しようとするようなナマなクモリがないのである。このタクミの名人の澄みきった心境はただ仏像をつくって自ら満足すれば足りるだけのことであったし、その技術もまた心境と同じようにクモリもなく完成されている。そして出来上ったのが一ツのクモリなく一ツのチリもとめていない、ただその美しさに見とれる以外に法のないこの
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