。この作品の幕切れのところで、加山良造はとうとう昔の女を正式の女房にむかえることにして息子の兵太に打ちあけると、自分の恋の方は親父にせかされている兵太だが、その感情とはちっとも結びあわせずに、親父がそれで悦しいなら然うするがいいだろうと簡単に賛成する。親父の自分勝手と息子のへんちくりんな人生観に呆れかえった使用人の三平は、こりゃどうも旦那方のすることは、まるで分らん、というあたり、この空とぼけた中には作者の精一杯の人生観が飾りなく投げだされてあるのだろうと思われた。つつましくはあるが苛烈な作者の人生苦難が感じられるのである。私は面白く読んだ。
太宰治氏の「逆行」。作者はこの作品を「傷」のもついたましい美しさのように思わせようとする。併し私はむしろ傷を労わるためにでっちあげた美しさのように思う。ボードレエルがのこしたような、傷の生々しい傷ましさから迸しりでたものとは違う。作者は自分をいたわりすぎていると私は思ったのだ。この作者は甚だ聡明である。このことに気付かない筈はないと思うが、知りすぎるために、却って潜在的に傷を遠距かり、労わろうとする不可抗力を受けるのであろうか。だがこの逃避的な
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