ところ極めて浅薄な反動的ファッショ気分なぞが人間そのものに良かれ悪しかれ変化を与えるということは全く想像することもできないのだ。こんな社会状勢は文学の埓外に投げ出した方がいいように思う。
 併しながら、社会状勢の如何に拘らず人間は変化する。社会状勢とは無関係に、一つの時代的な懐疑というものさえ有りうる。ところが我々の休むこともない懐疑といえども、その多くは極めて習慣的な一定の方向にくりのべられ、多くはたあいもなく堂々めぐりに終っていることが多いのかも知れぬ。
 ここに一つの慾望があって、これを我々が是認するか抑圧すべきであるかでは大きな生活の変動がまきおこされてくるであろう。ある慾望の是認乃至は抑制、これくらい我々の生活に限界の不明確なものは少いであろうし、又我々は極めて曖昧な習慣に基いて甚だ自らの真実の姿には不忠実な行動をとっていることが多くある。卑近な一例を言えば、性生活の羞恥、抑制、こういう日常限りなく直面する事柄に於ても、我々は全く習慣的な、乃至は単に反動的な(これも結局習慣的である)倫理から逃げだすことが殆んどできない。「チャタレイ夫人の恋人」が我々に示した性的快感の時間差。
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