るうちに、むろんそれが原因ではないが、急にふらふら立ち上り、縄を吊してどうやらもぞもぞと首をくくろうとしはじめる。どうも読んでいてその重苦しい漠然たる人生苦がやりきれなくなるのだった。ところが今年の「紀元」新年号に書いた「山茶花の庭」で、これも惚れないうちから諦めていた一人の娘との別れに自作の白粉を餞別しようと思って、自分ではその壺へ「長相思、思ひ何ぞ長き――」というような詩をひとつ気取って焼きこんでやろうと思っているうちに、ついなんとなく焼きこんだのが「古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し」という蕪村の句である。その壺を見た友人達が、壺をひねくりながら、どうもこの壺は露骨で厭味ですねと会話をしているあたり、全くやりきれない暗い鬼気に打たれざるを得ない。前作の首をくくる時よりは彼の悲願がずっと深められた不気味なものに進んでいるのだ。私は時々、あいつもう自殺をするんじゃないかと思ってしまう。自殺をするならそれはそれで仕方がない、とにかく真向から漠然たる悲願に組みついてあくまで執拗に突きつめている彼の態度には貴いものがある。併しながら繰返して私は主張したいが、悲願そのものに私はすぐれた文学を期待する
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