ったりする。この悲願を真に正しく押しつめることは甚だ難いのだ。併しやがてこの悲願を正しく渡りきった向う側から新らしい文学が生まれてくるだろうと私は確信している。
「浅草祭」の中に、私と呼ぶ主人公が辻本という友人の源氏屋に誘われるままに街の女の家へあがる。十八という街の女と話を交し、次第に源氏屋口調になる辻本と面白くもない話を交わしたあとで、一向に気持の浮かない主人公は女を買うのは止め、辻本がこんなに金に困っているならこの家に茶代をおき、辻本には足賃をやり、彼と温いものでも食って別れようかと思うのだが、そんなことはわれわれ好みのつまらん見栄にすぎないという気がして、黙って三円の料金を出す、という件りがある。
この「われわれ好みのつまらん見栄」と作者がアッサリ片附けていることが、果してそう片付けていいものかどうか。この一見甚だ辛辣に古い衣を突き破っているように見えるこの作者の「からさ」が、実は甚だ好気分にこの「からさ」に溺れているのであって、この程度の「からさ」は危険ではあるが一向本質的に正しく的をついているとは考えられない。われわれ好みのつまらん見栄といい切ることが逆にこの作者の「から
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