んでゐるのですが……流石にしかし、それを発見されないやうに、頸ばかり窓から突き延して、広い海原と浜に零《こぼ》れた人影のうごき[#「うごき」に傍点]を眺めてゐるのです。緋奈子は遊びに夢中ですから、私の窓を振り仰いで、其処に私の頸だけを見付け出すことは、一日の中にも極く稀な気紛れによることですが、しかしとにかく、一日に一度顔が会ふと、私はそれをキッカケにヒョイと頸を引つ込めて、その時ばつたり倒れた場所でその一日を暮すのです。
「緋奈子……緋奈子……緋奈子……緋奈子……」
気がつくと、低いかぼそい不思議な声が、私の胎内からさう緋奈子を呼んでゐる……私が現実の緋奈子を呼ぶ理由はないのです。あれは実際|詐《いつわ》りなくウルサクテタマラナイ存在ですから。……そして私は、恐らく緋奈子の、その影を呼んでゐるのではないのですか。そして私も、恐らくは私も、また、叫ぶところの影であります。私のうらぶれた現身《うつしみ》に、影ほど好ましきものは無いのです。影は人の心であります、そして又、人のふるさと[#「ふるさと」に傍点]であります。饒舌な現身が愛慾のわづらはしさに憔悴し去るとき、沈黙な影はその素朴にし
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