足を掴まれて逞しい漁夫に逆しまに吊されながら、左右に大きくゆらゆらと揺れて陸《オカ》へ上げられたところでした。それらの体躯にも、一面にあかるい太陽が輝いてゐたのです。暫くは人工呼吸を施してゐたのでせうか、しかしそれは小さく動かない人垣に隠されて、私の窓からは見えないのです。ただ浜の四方から、点のやうな人影が、時々現れて一散にその人垣の方へ駈けてゆくのですが、見てゐても気付かぬうちに、その人垣が少しづつ大きくなつてゆくのです。緋奈子は、人垣から少し離れて、時々不安げにその中を覗き込むのですが、すると直ぐ頸をめぐらせて、私の窓の私の眼へ、同じ不安げな視線《まなざし》をぢつと落すのです。その動作を緋奈子は幾度も繰返してゐましたが、やがて秘密げな人垣が割れると、少年ははや屍体となつて、なほあの影を落しながら、村の一方へ砂浜伝ひに運ばれて行きました。私は何等の感傷もなく、これらの出来事を見終つたのです。そして又、静かに頸を引込めると、放心してぢつと寝倒れてしまつたのです。
緋奈子は、これも亦虚しく蒼白な顔に目ばかり大きく見開きながら、この真昼の部屋の日盛りへ、恐らくは暫くぶりで帰つて来たのです。緋奈子は机に頬杖をついて、今悲劇のあつたあたりの、もはやそれらしい痕跡もないひろびろとした砂浜から、遠い水平線の方を眺めてゐたやうです。やがて、ぼんやり天井を睨んでゐる私の傍へ、気の抜けた形で近づいて来たのですが、まもなく私の胸に顔を伏せて泣きはぢめたのです。
「あたしを放さないでね。あたしを愛してね。あたしは淋しいの。いつもいつもあたしを放さないでゐてね……」
その一日、緋奈子は私の胸の中に泣いてゐました。私は身動きもしなかつたのです。どうせ[#「どうせ」に傍点]ほかのことを考へてゐますので、別にウルサイとも思はなかつたものですから、私は緋奈子の影を抱きしめてゐる白日の幻を見てゐたのです。――黄昏、緋奈子に誘はれて、少年の家へ弔問に行きました。また後日には、その零れたやうな葬列も、松林の間にチラチラと隠れて行つてしまふまで、見送つたのです。そしてあの黄昏から、私は俄かに外出する男と成つたのです。意味もなく、別に感慨もなく、ただ成行のままにです。
出て見れば、外もしかし、やはり同じ退屈な場所にすぎなかつたのです。緋奈子が、同じウルサイ存在に変りのなかつたのと同じやうに……。いはば
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