帆影
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)空洞《うつろ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)実際|詐《いつわ》り
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+星」、第4水準2−82−9]
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凡そ退屈なるものの正体を見極めてやらうと、そんな大それた魂胆で、私はこの部屋に閉ぢ籠つたわけではないのです。それとは全く反対に、凡そ憂鬱なるものを忘却の淵へ沈め落してしまほふと、それは確かに希望と幸福に燃えて此の旅に発足したのでした。それも所詮単なる決心ではありますが――とにかく其の心掛けは有つたのです。勿論初めのうちは、時々は散歩に出掛ける心持にもなつたものですが、その気持でさて立ち上つてみますに、何か一つ心に満ち足りない感じがして、つひうかうか[#「うかうか」に傍点]と窓から外ばかり眺めてゐるうちに、ガッカリして寝倒れてしまひ、もう天井にヂッと空洞《うつろ》な眼を向けて、放心してしまふのです。そんな風にしてゐて、決して愉快であるわけはないのですが、今ではあきらめて、まるで外出する気持にもならないのです。それは確かに退屈千万で堪へ難いのでありますが、たまさかに外へ出てみる気持にもなると、その気持に成つただけが尚更に負担で、全くガッカリしてしまふのです。
此処は太平洋に面した、とあるささやかな漁村ですが、私の部屋には、ひろびろと海に展かれた一つの窓があるのです。晴れた日は、窓に広い水平線が動き、白い小さな帆が部屋の余白を居睡りながら歩いて行くのです。陽射しを受けた部屋の畳に、沖の波紋が透明な模様を描きながら、終日ゆらゆらと揺らめいてゐるのです。黄昏、時々お饒舌《しゃべり》な雲が速歩《はやあし》で窓を通つて行くのですが、私の胃の腑にも柔かな饒舌が其の時うとうとと居睡りに耽つてゐるのです。そして雨の日は――雨の日は、朝の目※[#「目+星」、第4水準2−82−9]《めざ》めに煙つた沖を眺めながら、寝床の上で私の体躯を真二つに割ると、私の疲れた脊椎に濡れた海藻がグショグショ絡みついてゐて、白いシイツまで悲しい程しめつぽい。私の脳漿には、日を終るまで、暗い沖の冷い雨脚が煙つてゐるのですが……。
言ひ遅れましたが、私に
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