は一人の連《つれ》があるのです。しかしこんな小うるさい存在も一寸ほかに見当らない程で、私としては常に黙殺してゐるのですが、ともかく緋奈子は私の愛人と呼ばるべき関係に当りますので、この人を言ひ出さないわけにも行かないのです。かといつて、私はここに、私は果して緋奈子を愛せりや否やといふ論題に就て批判的に弁論する学徒的意志は毫も持ち合はさないものですから、極めて簡単に目下の感覚のみを言ふのですが、私は緋奈子がうるさいのです。何故といつて、ただウルサイのが事実ですから、何としてもただウルサクテ堪らないのです。別にそれは、緋奈子が日夜私をうるさく散歩に誘ふからではないのです。なぜならば、其の時私は単に唇を軽く上下せしめることによつて、「俺は行かないよ」と発音すれば、それはそれなりに終るからです。
「散歩した方が体躯にいいのよ」
「君一人で体躯をよくしたまへ」
「そんなにあたしがうるさいの……」
 そして緋奈子は時々思ひ出したやうに、ある時は日蔭に、ある時は日向に、泣きはぢめるのです。といつて、それだからウルサイわけではないのですが……。それでは何故にうるさいのかといつて――別にウルサイからウルサイのではないのです、つまり漠然として、本質的に、存在そのもののレアリテがうるさくて饒舌で堪へ難いのです。こんなにウルサガラレテゐながら、この溌溂とした美少女が私のやうな痩せ衰へたやくざ者の身辺を立ち去らないのは実に一種の不合理である、と、私はいはば厭がらせのやうにこうお世辞を言ふのです。すると緋奈子はあの窓から遠い水平線を眺めながら、私を全く軽蔑した蒼白い嘲笑を浮べるのです。それはお互の武器ですから、止むを得なかつたのです。ところが近頃は、いくらか之と、様子が違つてきたのです。もう夏が来ましたから――さうです、もう夏が来てしまつた――いつの間に用意して来たのですか、全然私の気付かなかつたことですが、緋奈子はトランクの底から私のと彼の女のと二着の海水着を取り出して、「あたし一人で散歩してくるわよ、ね」と言ひ残して、あの窓の下のなだらかな銀色の上で、村の小供達と一日遊んで暮すのです。水へ這入るのはごく稀なことで、大方は小供達にボクシングの型を教へたり、輪になつて踊つたり、跳躍《ヂャムプ》や競走《カケッコ》の試合をしたりさせたりしてゐるのです。窓下の砂浜に点と化したそれらの人影は八方へ散乱し
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