くて痩せていたころ登山に一応凝ったことがあって、そのときの経験がなんとか物を云ってくれる。初音サンは野性にあふれ突撃精神横溢しているが、経験がないから、手や足の動作にムダが多くて、そのために疲労しがちだ。
「その上の石に手をかけて。足をその凹みにかけて」
と下から梅玉堂が一々指図するが、疲れ果てているのは梅玉堂の方だ。なんべんとなく手を放して谷へ落ちる幻想に襲われ、辛くも怪しい誘惑を払うことができたのはむしろフシギなほどであった。初音サンが手を放して落ちる。するとそのマキゾイで、下の自分も当然突き落されて、二人はからみ合って谷底へ落ちる。それもまた大自然だ。いま滝壺にからみ合い抱きあっていた若い男女と同じようなものだ。一方は生の歓喜にあふれ、一方はそのままオダブツであるにしても、大自然たるに変りはない。初音サンが墜落すれば我また喜んで落ちようものをと、梅玉堂は落ち行く空間で一瞬からみ合うはかなき肉体の接触を空想して、それを最後の、しかし無上のものと考えたほどである。息も絶え絶えに、幻想を見ながら登ったのである。
ついに登りつめた。初音サンは背のびして、三度四度深呼吸すると、人心地が
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