くりを思ひだして、ああ、さうさうあんたもあれを見たのか、と語りあつて、又、それなり忘れてしまつたといふ。結城哀草果氏は、この話を、農民が世事にこだはらず、天地自然にとけこんで、のんびりしてゐる例として、又、さういふ思想的な扱ひ方をしてゐるのである。
農村の文化人といふものは、全国おしなべて大概かういふ突拍子もない考へ方で農村を愛してゐるのが普通で、自分自身農村自身の悪に就ては生来の色盲で、そして農村は淳朴だなどと云つて、疑ることなどは金輪際ない。
奈良朝の昔から農村の排他思想といふものはひどいもので、信頼するのは部落の者ばかり、たまたま旅人が行きくれても泊めてはやらず、死んだりすると、連れの旅人に屍体を担がせて村境へ捨てさせて、連れの旅人も蹴とばすやうに追ひだしてしまつたものだ。
さはらぬ神にたたりなし、と称して、山の林に首くくりがブラブラしてゐても、もしや生き返りやしないか、下して人工呼吸でもしてやらうなどとは考へずに、まつさきに考へるのは、よけいな事にかかはり合つて迷惑が身に及んではつまらない、といふことだ。都会の人間なら、下して助けようとしてみるか、怖くなつて逃げだして申告
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