多いのだが、その農民の個人々々の損得観念、損得勘定の合計が日本の歴史を動かしてゐる、いぢめられ通しの農民には、上からの虐待に応ずるには法規の目をくぐるといふ狡猾の手しか対処の法がないので、自分が悪いことをしても、俺が悪いのではない、人が悪くさせるのだと言ふ。何でも人のせゐにして、自主的に考へ、自分で責任をとるといふ考へ方が欠けてをり、だまされた、とか、だまされるな、と云つて、思考の中心が自我になく、その代り、いはば思考の中心点が自我の「損得」に存してゐる。自分の損得がだまされたり、だまされなかつたり、得になるものは良く、損になるものは悪い。損得の鬼だ。これが奈良朝の昔から今に至る一質した農村の性格だ。
いつだつたか、結城哀草果氏の随筆で読んだ話だが、氏の村のAといふ農民が山へ仕事に行くと林の中に誰だか首をくくつてブラ下つてゐるものがある。別に心にもとめず一日の仕事を終へて帰つてくると、その翌日だか何日か後だか今度はBといふ農民がやつぱり山へ仕事に行つて例のぶら下つた首くくりを見てこれも気にもとめず一日の仕事を終へて帰つてくる。ある日二人が会つて、山の仕事の話をしてゐるうちに、ふと首く
前へ
次へ
全22ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング