とでてくるのだが、ニューとでてくる、アッと思ふともうダメなので、逃げる力に逃げられず追ひつめられて、そのときキンタマをいやといふほど蹴とばされるのである。その痛いこと、全身ただ脂の汗、天地くらむ、ムムム……蹴られぬさきに蹴られる場所も痛さも分るその瞬間の絶望がなんともつらい。
 これが毎晩々々のことだ。和尚もいまいましくて仕方がない。夢のことだから別にキンタマが腫れあがりもしないけれども、憎らしいことだから、ある日牛を見に野良へでると、牛は寺男にひき廻されておとなしく働いてをり、和尚を認めると、急にしやくりあげてポロポロと泣きだした。それが如何にも悲しげに気の毒な様子であるから、和尚も不愍《ふびん》になつて、まだ三年あるのに、もつたいないことだと思つたが、毎晩キンタマを蹴られるのも迷惑な話だから、まア、このへんで勘弁してやるのも功徳といふものだらう、と考へた。
「まだ三年もあるのだが、見れば涙など流して不愍な様子だから、特別に慈悲をしてやらう。こんな慈悲といふものは、よくよく果報な者でないと受けられるものではないが、それといふのもお前の運がよかつたのだから、幸せを忘れぬがよい。さア、好
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