たのは、この時のことであつた。
 ちやうど、このとき、前線では和議が起つてゐた。秀吉を封じて大明国王にするといふ、こんな身勝手な条約に明軍が同意を示す筈は有り得ないのだから、諸将は誰あつて和議成立をまともに相手にしてはをらぬ。如水は特別好戦的な男だから和談派の軟弱才子を憎むや切、和談を嫌ふが故に、好戦的ですらあつた。
 朝鮮遠征の計画がすゝめられてゐるとき、石田三成は島左近を淀君のもとに遣して、淀君の力によつてこの外征を思ひとゞまるやう説得方を願はせた。小田原征伐が終り奥州も帰順して、ともかく六十余州平定、応仁以降うちつゞく戦乱にやうやく終止符らしきものが打たれたばかり。万民が秀吉の偉業を謳歌するのは彼によつて安穏和楽を信ずるからで、然る時に、息つくまもなく海外遠征、壮丁《そうてい》は使丁にとられ、糧食は徴発、海辺の村々は船の製造、再び諸国は疲弊して、豊臣の名は万民怨嗟の的となる。明を征服したればとて、日本の諸侯をこゝに移して永住統治せしめることは不可能で、遠征の結果が単に国内の疲弊にとゞまり実質的にはさらに利得の薄いことを三成は憂へたから、淀君の力によつて思ひとゞまらせたいと計つた。
 とはいへ、三成は周到な男であるから、一方遠征に対して万全の用意を怠らず、密偵を朝鮮に派して地形道路軍備人情風俗に就て調査をすゝめる、輸送の軍船、糧食の補給、之に要する人夫と船の正確な数字をもとめて徴発の方途を講じてもゐた。
 如水は三成の苦心の存するところを知らぬ。淀君のもとに島左近を遣して外征の挙を阻止する策を講じたときいて、甚しく三成を蔑み、憎んだ。如水の倅長政は政所の寵を得て所謂政所派の重鎮であり、閨閥に於て淀君派に対立してゐるものだから、淀君派の策動は間諜の手で筒抜けだ。小姓あがりの軟弱才子め、戦争を怖れ、徒《いたずら》に平安をもとめて婦女子の裾に縋りつく。
 三成は如水隠退のあとを受けて秀吉の帷幕随一の策師となつた男であるから、尚満々たる血気横溢の如水にとつて、彼の成功は何よりも虫を騒がせる。三成は理知抜群の才子であるが、一面甚だ傲岸不屈、自恃の念が逞しい。如水の遺流の如きはもとより眼中になく、独特の我流によつて奇才を発揮してゐる。人づきの悪い男で、態度が不遜であるから、如水は特別不快であり、三成の名をきいたゞけでも心中すでに平でない。その才幹を一応納得せざるを得ないだけ
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