二流の人
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)チンバ奴《め》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)数十|旒《りゅう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]群
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)たま/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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第一話 小田原にて
一
天正十八年、真夏のひざかりであつた。小田原は北条征伐の最中で、秀吉二十六万の大軍が箱根足柄の山、相模の平野、海上一面に包囲陣をしいてゐる。その徳川陣屋で、家康と黒田如水が会談した。この二人が顔を合せたのはこの日が始まり。いはゞ豊臣家滅亡の楔が一本打たれたのだが、石垣山で淀君と遊んでゐた秀吉はそんなことゝは知らなかつた。
秀吉が最も怖れた人物は言ふまでもなく家康だ。その貫禄は天下万人の認めるところ、天下万人以上に秀吉自身が認めてゐたが、その次に黒田如水を怖れてゐた。黒田のカサ頭(如水の頭一面に白雲のやうな頑疾があつた)は気が許せぬと秀吉は日頃放言したが、あのチンバ奴《め》(如水は片足も悪かつた)何を企むか油断のならぬ奴だと思つてゐる。
如水はひどく義理堅くて、主に対しては忠、臣節のためには強いて死地に赴くやうなことをやる。カサ頭ビッコになつたのもそのせゐで、彼がまだ小寺政職といふ中国の小豪族の家老のとき、小寺氏は織田と毛利の両雄にはさまれて去就に迷つてゐた。そのとき逸早《いちはや》く信長の天下を見抜いたのが官兵衛(如水)で、小寺家の大勢は毛利に就くことを自然としてゐたが、官兵衛は主人を説いて屈服させる。即座に自らは岐阜に赴き、木下藤吉郎を通して信長に謁見、中国征伐を要請して、小寺家がその先鋒たるべしと買つてでた。このとき官兵衛は二十を越して幾つでもない若さであつたが、一生の浮沈をこの日に賭け、いはゞ有金全部を信長にかけて賭博をはつた。持つて生れた雄弁で、中国の情勢、地理風俗にまでわたつて数万言、信長の大軍に出陣を乞ひ自ら手引して中国に攻め入るなら平定容易であると言つて快弁を弄する。頗る信長の御意にかなつた。
ところが、秀吉が兵を率ゐ
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