フ中にも除外されてゐる程だから、まして一般に通用する筈はない。私は始めから諦めてゐた。たゞ、ボードレエルへの抗議のつもりで、ポオを訳しながら、この種のファルスを除外して、アッシャア家の没落などを大事にしてゐるボードレエルの鑑賞眼をひそかに皮肉る快で満足してゐた。それは当時の私の文学精神で、私は自ら落伍者の文学を信じてゐたのであつた。
私は然し自信はなかつた。ない筈だ。根柢がないのだ。文章があるだけ。その文章もうぬぼれる程のものではないので、こんなチャチな小説で、ほめられたり、一躍新進作家にならうなどと夢にも思つてゐなかつた。
そのころ雑誌の同人六七人集つて下落合の誰かの家で徹夜して、当時私たちは酒を飲まなかつたから、ジャガ芋をふかして塩をつけて食ひながら文学論で徹夜した。その夜明け、高橋幸一(今は鎌倉文庫の校正部長)が食ふ物を買ひに外出して、ついでに文藝春秋を立読みして、牧野信一が「風博士」といふ一文を書いて、私を激賞してゐるのを見出したのである。
人間のウヌボレぐらゐタヨリないものはない。私はその時以来、昨日までの自信のないのは忘れてしまつて、ほめられるのは当り前だと思つてゐた
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