Kッカリした。もとより、それは気まぐれだつた。気まぐれ千万な女なのだ。私を愛してゐるせゐなどでは毛頭ない。然し、気まぐれながら、いくらかシンミリしてゐるので、それが珍らしいことだづたから、私は今も何か侘しさを思ひだす。私はその後、よく旅先の宿屋の部屋の孤愁の中で、このときの女のことを思ひだしたものだつた。
「このくらゐ遊んで帰ると、私だつて、ちよつと、ぐあひが悪いのよ。あとは野となれ、山となれ、か。あなたの奥さん、さぞ怒つてゐるだらうな。ねえ、マダム、怖い?」女の顔はいつもと違つて、まじめであつた。
「もう十日、もうひと月、ねえ、私、このへんで稼いで、一緒にゐたいな。あなたのマダムをうんと怒らしてやりたいのよ。私、どこかのマダムを二三人、殺してやりたいわ。厭になつちまふな」と言つた。そして笑つた。それはもう、いつもの通りの女であつた。シンからお人好しの女でも、そんな残酷な気持があるのかな、と、私は面白かつた。顔も知らない対象にまで嫉妬だか癇癪だか起してゐる、そのくせ、はつきりした対象にはむしろ嫉妬を起しさうもない女であつた。
 私はそのとき、矢田津世子は死んでくれゝば一番よいのだ、とい
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