モことをハッキリ気附いた。そして、そんなことを祈つてゐる私の心の低さ、卑しさ、あはれさ、私はうんざりしてゐた。まつたく一と思ひに、この女とこのへんの土地で、しばらく住んでみようかと、女には何喰はぬ顔で、思ひめぐらしたほどであつた。
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私の心の何物か、大いなる諦め。その暗い泥のやうな広い澱みは、いはゞ、一つの疲れのやうなものであつた。その大いなる澱みの中では、矢田津世子は、たしかに片隅の一ときれの小さな影にすぎなかつたが、その澱みの暗い厚さを深めたもの、大きな疲れを与へたものは、あるひは、矢田津世子であるかも知れぬと考へる。
私はそのころから、有名な作家などにはならなくともよい、どうにとなれ、と考へた。元々私は、文学の始めから、落伍者の文学を考へてゐた。それは青年の、むしろ気鋭な衒気《げんき》ですらあつたけれども、やつぱり、虚無的なものではあつた。私は然し、再びそこへ戻つたのではなかつたやうだ。私の心に、気鋭なもの、一つの支柱、何か、ハリアヒが失はれてゐた。私はやぶれかぶれになつた。あらゆる生き方に、文学に。そして私の魂の転落が、このときから、始まる。
私
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