オ、又、だから、たぶん、あるひは今ごろ、そこにゐるのではないかと、とも考へた。とりとめもなく、ふと、思ふ。私は山を歩いてゐる。穂高を、槍を、赤石を。すると、私のつれてゐる女は、矢田津世子だつた。そして私は、ものうい昼の湯の宿の物思ひから、我にかへる。私の女が、ひとりで喋り、ひとりでハシャいでゐるときにも、私はそれをきいたり見たりしてゐるやうな笑ひ顔で、ふと物思ひに落ちこんでゐた。
「あなたは奥さんないの? アラ、うそ。あるでせう」と、女がきく。
「あるよ」
「お子さんは」
「一人だけ」
「あなたの奥さんは、とても美人よ。私、わかるわ。ツンとした、とても凄い美人なのよ」
「どうして、分る」
「ほら、当つたでせう。私の経験なのよ。私みたいな変チクリンなお多福を可愛がる人の奥さんは、御美人よ。私、何人も、その奥さんの顔を見てやつたわ。美人女給を口説く人の奥さんは、みんな、ダメ。でもね、私を可愛がる人は、特別優秀なのよ。なぜだらうな。よつぽど私が、できそこなひなのかしら」然し、女は、どことなく可愛い顔立ちだつた。それに、姿がスラリとして、色気があつた。心が無邪気であるやうに、全身に、無邪気な翳
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