やは喜んだけれども、神経衰弱は悪化の一方で、秋の訪れる頃、病状言語を絶し、毎朝池袋から省線で巣鴨の方へ行く筈なのに、プラットホームの反対側が赤羽行きで、あっちは赤羽行きだからイケないとそればかり考えるうちに赤羽行きの車掌が出発の笛を吹くと、アッ、たしかこっちが俺の行く方だ、と急にそう考えて乗ってしまう。之が毎朝のことである。なさけなさ、毎朝、板橋へつき、泣いても泣ききれぬ思いで茫然と戻る虚しさは切なかった。神経衰弱というものは単に精神的に消耗するばかりでなく、肉体的にも稀代の衰弱を見せるもので、田園へ散歩に行き三四尺の流れが飛び越せず水中に落ち、子供とキャッチボールしたら、十米ぐらいの距離をボールがとどかぬ。僕は元来インターミドルで優勝したジャンプの選手で、又、野球も選手、投手であった。もう四十に手のとどこうという今日此頃でも、五米ぐらいは飛べるし、手榴弾投げは上級にパスするぐらい。神経衰弱というものは奇怪な衰弱を表すものだ。考えてもみなさい。たった三四尺の流れを飛ぶのに全然足が上らず、引きずるようにバチャンと水中に落ちる驚きと絶望。自由自在に飛ぶ筈のボールが人の手を借りて投げるような
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