速に悪化した。一行といえども読書ができぬ。一字一字がバラバラで、一行をまとめて読みとる注意力がつづかない。意識は間断もなく分裂、中断、明滅して、さりとて娘の姿を意識の中でとらえることも出来ない。
母に願って娘と結婚させて貰おうか、と考えた。けれども悟りをひらいて偉大なる坊主になろうという時であるから煩悶した。母にたのんだところで承知する筈はないし、反対を押切り娘と二人で生きぬこうかと思いもしたが、坊主になる決意の下では、こういうことが邪念であり妄想だという考え方が対立した。神経衰弱退治どころの話ではない。ほっとくと気違いになりそうだから、まだ夏休みが半分ぐらい残っていたが、突然思い立って東京へ戻った。その日、突然呆気にとられる母の顔に苦い思いをしながら、出発してしまったのだ。すると娘が追っかけてきて、忘れ物です、と云って、路上で何かを届けてくれた。この忘れ物が何だったか、まったく記憶に残らぬけれども、娘はその品物を届けるために外の何事も考えずに駆けて来たのに相違なく、決勝線へ辿りついた百米選手のような呼吸であった。その後は再び娘に会ったことがない。
僕が早く帰ってきたので東京の婆
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