》の理由は宮中自体の性格の中にも在るのだ、と。
 天武天皇までの歴朝はお家騒動の歴史であつた。天武天皇自体、兄天皇に憎まれ、逃走、流浪、戦乱の後に帝位に即いた人である。然し、つづいて持統よりも聖武に至るまで、持統の初期にお家騒動の多少のきざしが有つたゞけで未然に防がれ、それより後は「家」といふ足場自体に不安のきざしたことはない。たまたま男の継嗣は長寿にめぐまれず、幼児を擁して女帝の摂政がつゞいたとはいへ、その成人にあらゆる希願と夢を托して、一方に朝家の勢力、日本支配は着々と進み、すべては順調であつた。六朝の意志に変化はなく、六朝の性格は一貫してゐた。
 夫(天武)より妻(持統)へ。
 祖母(持統)より孫(文武)へ。(まんなかの父(草壁太子)は夭折したのだ。然し、母は残り、これ又、次に天皇となる)
 子(文武)より母(元明)へ。(この母は同時に持統の妹でもあつた)
 母(元明)より娘(元正)へ。(この娘は文武の姉に当つてゐた)
 伯母(元正)より甥(聖武)へ。
 文武を育てる持統の意志は、聖武を育てる元明、元正両帝の意志の原形であり、全く変りはなかつた筈だ。元明は持統の妹だ。そして、元正
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