力が最も強く働いてゐた。橘三千代《たちばなのみちよ》であつた。天武以来、持統、文武、元明、元正、聖武、六代にわたつて宮中に手腕をふるつた女傑であつた。
男の天皇に愛せられた女傑の例は少くない。然し、男の天皇にも、別して女の天皇により深く親しまれ愛されたといふ女傑の例はめつたにない。
三千代は始め美努王《みぬのおおきみ》に嫁して葛城《かつらぎ》王(後の橘|諸兄《もろえ》)を生み、後に、藤原不比等に再嫁して光明皇后を生んだ。元明女帝の和銅元年、御宴に侍した三千代の杯に橘が落ちたのに因んで橘|宿禰《すくね》の姓を賜つたのである。
史家は推測して、三千代は文武天皇のウバの如きものではなかつたか、又、首皇子に就ても同じやうな位置にあつたのではないか、といふ。とまれ六朝に歴侍して宮中第一の勢力を持ち、男帝女帝二つながら親愛せられて、終生その勢力に消長がなかつたといふ三千代の才気は、いさゝか我々の理解を絶するものがある。
然し、かういふことが云へる。六朝に歴侍して終生その宮中第一の勢力に消長がなかつたといふ三千代の当面の才気に就ては分らない。然し、三千代の地位と勢力に変りがなかつた半《なかば
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