て女は、別して強烈沈静なる女は、現実的、肉体的な繁栄や威風をもとめてやまないものである。北条政子と同じ意志がこゝにある。そして、政子の如く苦難に面してゐなかつた。順風に追はれてゐた。
我々がこゝに見出すのは、政府ではなく、家であり、そして、家の意志である。
★
文武天皇は二十五で夭折した。皇子|首《オビト》は幼少であつたから、その生長をまつまで、文武天皇の母(草壁皇子の妃)が帝位についた。元明天皇である。天智天皇の娘であり、持統天皇の妹であつた。
つゞいて元正天皇に譲位した。首皇子が尚成人に至らなかつたからである。元正天皇は元明天皇の長女であり、文武天皇の姉であり、首皇子の伯母であつた。
かうして祖母と伯母二代の女帝によつて現人神《あらひとがみ》としての成人を希はれ祈られ待たれた首皇子は後の聖武天皇であつた。
女帝達の意志のうちに、日本の政治、日本の支配、いはゞ天皇家の勢力は遅滞なく進行してゐた。大宝、養老の律令がでた。風土記も、古事記も、書紀もあまれた。奈良の遷都も行はれた。貨幣も鋳造された。
然し、女帝達の意志と気力と才気の裏に、更に一人の女性の
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