の再生を希ふことは人間本来の意志であるが、その仏教に対する信仰の結果とは云へ、自ら意志して、肉体を焼き無に帰すことを求めるのは凡人の為し得るところではない。持統天皇は天智天皇の娘であるが、その夫大海人皇子(天武)が天智天皇に厭はれて吉野に流浪のときも従属してをり、その強烈沈静な性格は知り得るであらう。
 皇孫珂瑠は譲を受けて即位し文武天皇となる。このときの詔《みことのり》に
「現御神《アキツミカミ》と大八島国|所知《シラス》天皇が大命《おおみこと》らまと詔《の》りたまふ大命を集侍《うごなわ》れる皇子等王臣百官人等天下公民|諸《もろもろ》聞食《きこしめ》さへと詔る」(下略)と。
 自らを現御神と名のり、大八島しらす天皇と名のる、この堂々の宣言を読者諸氏は何物と見られるであらうか。私はこれを女と見る。女の意志を見るのである。
 私は一人の強烈沈静なる女の意志を考へる。その女は一人の孫の成人を待つてゐた。その孫が大八島しらす天皇、現御神たる成人の日を夢みてゐた。その家づきの宿命の虫の如き執拗さをもつて、夢み、祈り、そして、育てゝゐたのだ。人はすべて子孫の繁栄を祈るものであるかも知れぬが、別し
前へ 次へ
全48ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング