要するのである。これは利巧な方法であつた。そして、この原形を発案したのは中大兄皇子であつた。皇子は、皇極、孝徳、斉明三天皇を立て、自らは皇太子として、大改革に着手した。
従つて皇極(斉明)といふ女帝は中大兄皇子のロボットであり、女帝自体に意味はなかつた。女性時代ともいふべき女帝時代は持統天皇から始まる。
★
天武天皇崩御のとき皇太子(草壁皇子)がまだ若かつたので(当時は幼帝を立てる例がなかつた)皇太后が摂政した。三年の後、皇太子も亦|薨《こう》じ、その子|珂瑠《かる》皇子は極めて幼少であつたから、皇太后が即位した。持統天皇であつた。
持統天皇の在位は皇孫珂瑠の保育にあつたが、太政大臣に高市皇子を任じ、補佐するに葛野王《かどののおおきみ》あり、家族政府として極めて鞏固《きようこ》な団結であつた。持統天皇が強烈沈静の性格の持ち主であつたことは、彼女が自らの遺言によつて、天皇の火葬の始めであることによつても考へられる。
死後の世界は、今日科学によつて死後の無を証明せられてすら、尚我々の知性に於てもその空想と恐怖から解放されてはゐない、原形のまゝ地下に横はり他日
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