た。即坐に退位を命ぜられ、淡路の国へ流された。そして翌年、配所で死んだ。

          ★

 上皇は法体のまゝ重祚して称徳天皇と云つた。出家の天皇には出家の大臣がゐてもよからうと仰せがあつて、道鏡は大臣禅師といふ新発明の官職を与へられた。
 翌年、太政大臣禅師となり、二年の後に、法王となつた。
 それは女帝の意志だつた。
 女帝は道鏡が皇孫であり、たゞの臣下ではないことを、そのしるしを、天下に明にしたかつた。そして二人の愛情の関係自体も。皇孫だから。そして、愛人なのだから。女帝は法王といふ極めて的確な言葉に気付いて喜んだ。
 法王の月料は天子の供御《くご》に準じ、服食も天子と同じものだつた。宮門の出入には鸞輿《らんよ》に乗り、法王宮職が設けられ、政《まつりごと》は自ら決した。それはすべて女帝が与へた愛情のあかしであつた。名にとらはれる女は、然し、更に実質の信者であつた。名は、そして、人の口は、女帝はすでに意としなかつた。事実はたゞ一つ。道鏡は良人であつた。
 道鏡は堕落の悔いを抑へることができてゐた。女帝の女体は淫蕩だつた。そして始めて女体を知つた道鏡の肉慾も淫縦《いんじゆう
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