でもなく、時雨にぬれた山や野の姿でもなかつた。それは人の心であつた。そして、それが自分の心であるのに気付いて、上皇は驚くのだ。上皇は冬空を見、冬の冷めたい野山を見た。その気高さと、澄んだ気配に、みちたりてゐた。すでに彼女は道鏡に、身も心も、与へつくしてゐた。
 天皇は上皇と道鏡の二人の仲を怖れた。押勝のために怖れたのだ。天皇は恋に就ては多くのことを知らなかつた。彼は道鏡を見くびつてゐた。否、それよりも、上皇と押勝の過去の親密を過信し、盲信しすぎてゐた。
 天皇は日頃にも似ず、上皇に対して直々|諷諫《ふうかん》をこゝろみた。上皇の忿怒《ふんぬ》いかばかり。その日を期して、二人はまつたく不和だつた。
 上皇は出家して、法基と号し、もはや全く道鏡と一心同体であつた。道鏡を少僧都に任じ、常に侍らせ、押勝は遠ざけられた。彼はもはや上皇にとつて、全く意味のない存在だつた。
 押勝は悶々の日を送り、道鏡に憤り、上皇を怨んだ。嫉妬に燃え、失脚に怖れ、彼の心は狂ほしかつた。自ら陰謀する者は、人の陰謀を更に怖れる。彼は失脚の恐怖に狂ひ、人の陰謀の影に狂つて、自ら謀反を企んだ。
 彼は太政官の官印を盗んで符
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