持統天皇は藤原遷都によつてこの勢力との絶縁を志して果し得ず、奈良の遷都によつて始めて絶縁に成功した。天皇家の日本支配がこのときに確立したので、古事記や書紀の編纂がこの時期に行はれたのも、天皇家の日本支配を正統づける文献が必要であつた為であり、その必然の修史事業の企てによつても、この時期に於ける天皇家の地盤の確立を推定し得るであらう。
爾来、天平の盛時、諸国に国分寺がたち、聖武天皇が大仏の鋳造に勅して、天下の富をたもつ者は朕《ちん》なり、天下の勢力をたもつ者も朕なり、と堂々宣言のある日まで、日本は主として女帝によつて孜々《しし》として経営がつゞけられてゐた。天皇家の日本支配は女帝によつてその意志が持続せられた。聖武天皇はかゝる女帝の経営の結実であり精霊であり、そして更にその結実は孝謙天皇の血液へ流れる。史家は当時をさして、仏教政治といふ。否、表に於ては、さうである。内実に於て、その支配者の血液の息吹に於て、まさしく、女性政治であつた。
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天智天皇は当然継承すべき帝位に即かず、皇極、孝徳、斉明、三帝のもとに皇太子として暗躍した。斉明は皇極の重祚《ちようそ》であ
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