で忠勤をはげみ、その報酬に官位の昇進を受けてゐた。彼等は面従腹背を人の当然の行為であると信じてゐた。彼等はむしろ押勝よりも悪辣であり老獪であり露骨であつた。百川は道鏡をしりぞけてのち、自分の好む天皇をたてる陰謀に成功した。更にその後、皇太子の廃立に成功したが、彼のすゝめる親王を天皇は好まなかつた。その天皇を責めたてゝ、四十余日、夜もねむらず門前にがんばりつゞけ、喚きつゞけて、天皇を根負けさせてゐるのであつた。
彼等はむしろ押勝以上に策師であり、智者であり、陰謀家であり、利己主義者であり、かつ、礼節も慎みもなかつたから、押勝の専横に甘んじて、その下風に居すはる我慢がなかつたのである。
彼等の共同の目的は、押勝の失脚だつた。すると、そこへ、思ひもうけぬ好都合の人物が登場してきた。それが弓削道鏡《ゆげのどうきよう》であつた。
★
道鏡は天智天皇の子、施基《しき》皇子の子供であり、天智天皇の皇孫だつた。
道鏡は幼時|義淵《ぎえん》に就て仏学を学び、サンスクリットに通達してゐた。青年期には葛木山《かつらぎやま》に籠つて修法錬行し、如意輪法、宿曜秘法《すくようのひほ
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