、太宰員外帥《だざいいんがいのそち》に左遷され、遠く九州へ追ひ落されてしまつたのである。
あらゆる敵を一挙に亡したばかりでなく、目の上の瘤、兄大臣を退けることまでできた。押勝の満足は如何ばかり。
ところで、その同じ時刻に、顔を見合せてニヤリとしてゐた一味がゐた。藤原永手、藤原|百川《ももかわ》、その他藤原一門の若い貴族の面々だつた。彼等こそ押勝の腹心だつた。赤心を示し、忠誠を誓ひ、召捕に、又、拷問に、糾明に、率先当つた人々であつた。
然し、彼等は祝杯をあげてゐたのである。彼等は老いたる狐の如くに要心深い若者だつた。祝杯の陰の言葉から、我々は如何なる秘密もきゝだすことはできない。その場にたとへば押勝がひそかに忍んで立聞きしても、陰謀の破滅と、平和の到来を祝ふ言葉をきゝ得たゞけであつたらう。
★
藤原不比等に四人の男の子があつた。各々家をたて、武智麻呂《むちまろ》を南家、房前《ふささき》を北家、宇合《うまかい》を式家、麻呂を京家と称し、各々枢機に参じてゐた。安宿夫人は光明皇后となり、三千代の勢威は後宮に並ぶものなく、藤原氏にあらざれば人にあらざる有様だつた。
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